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『あの夏のMessenger』

手紙を届けるために


 2年前、大学に入学した僕は、思い描いていた理想と、目の前の現実とのギャップに、ボロボロにされていました。キャンパスに溢れていたのは、あまりにも薄っぺらい人間関係や、“生きていくこと”を“生活していくこと”と混同している教授の話。
 僕は別に、「高校時代は楽しかった。大学はつまらない。」という単純な結論を言いたいわけではありません。ましてや、「大学の教育はマチガっている!」などと主張するつもりもありません。
 僕はただ、このまま行くと、高校3年生の時に仲間と確実に感じられていた“あるモノ”を失ってしまうのではないか、と不安だったのです。
 これは本当に、尋常な不安ではありませんでした。“あるモノ”とは僕にとって、たまらなく愛しくて、切なくて、涙が溢れてくるほど強烈なものだったのですから。
 僕らの周りの人は、「若さ」であるとか、「情熱」であるとか、意味を理解できていると勘違いしている単語で、この“あるモノ”を簡単に結論づけます。
 これは僕らにとって、暴力でした。
 しかし、この暴力から身を守るため、「これは暴力だからやめてくれ。」と発言し、それを制せるだけの根拠が、僕らには無かったのです。
 theatre project BRIDGEとは、この根拠を見つけ出すための、僕らの旅なのです。・・・というとちょっとカッコよく書きすぎですが、気持ちとしては、真実です。
 “あるモノ”は言葉にできません。いえ、言葉にしようと努力し続けるのですが、とても難しいのです。なぜならそれは、「自分が、恋人のことをどうして好きなのか」を誰かに説明することと同じで、言葉を重ねれば重ねるほど、違和感が増すものだからです。
しかし、言葉に直せないからこそ、僕らは芝居をやるのです。僕らはみなさんと、言葉以外のものでコミュニケーションし続けようと思うのです。
 
 ラスト、林太郎が1歩を踏み出したあと、例えば1年後、彼はどうなっているのか。
 あることをきっかけに、最初の1歩を踏み出すことはできます。しかし、それでも、彼と彼の友人との距離はまだまだ遠く、縮まることはありません。
 1歩を踏み出すことに価値はあります。
 しかし、問題は、目の前に横たわる、残酷な距離を目の当たりにしながら、2歩目、3歩目、と歩き続けることです。自分と、自分が愛する人との、絶対に縮まらないこの距離から目を背けず、あくまで前向きに歩き続けていくこと、
 自分と他人との距離を悟った瞬間から、誰の力も借りず、1人で歩き続けることを否が応にも要求されます。
 1人であることを認め、それを引き受けることはとても苦しく、さみしい。
 しかしそれでも前向きな姿勢を保つことができれば、それは、なんというか、きっと素敵なことだと思うのです。
 なぜなら、人との「別れ」を確信することは、それはそれで、1つの「出会い」であると、思うからです。「別れ」は「出会い」であり、「出会い」は「別れ」であると思うのです。

 僕は“あるモノ”を叫び、同時に“あるモノ”と闘い続けます。
 「あの夏、おれは確かに走っていた。」
 この次の言葉を、僕は探し続けるのです。どんなに苦しくても、どんなにさみしくても、その言葉を手紙にし、あの人の背中に届けるために。
 本日はご来場いただき、ありがとうございました。
 また逢いましょう。

| 2002,08,17,Sat 2:29 | theatre project BRIDGE | comments (x) | trackback (x) |

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