RSS 1.0

newest    

『PATRICIA』

 小田急鵠沼海岸駅から真っ直ぐ南へ下ると、ほんの5分ほどで海が見えます。海辺の遊歩道に腰を下ろせば、左側から江ノ島が迫り、右へ視線をずらせばはるか向こうに小田原や熱海、伊豆半島のつけ根あたりがかすんで見えて、その上の雲の隙間から富士山の頂が顔をのぞかせています。
 秋から冬にかけての海は夏のような混雑も無く、かと言って晴れた日の昼間なんかはけっこう暖かくて、そんな時に波音を聞きながら本を読んだり、砂浜を駆け回る散歩の犬たちを眺めたりするのは、僕にとってなかなかに甘美な瞬間です。
僕はその潮のにおいを、太陽の角度や海岸線の車の音を、目の前に広がるこの風景から感じ取れるありとあらゆる要素を、とても愛しているのです。
 しかし、僕はやがて、自分と風景との境界線を失っていきます。ブツン、ブツン、とまるで糸が切れるように、僕の中にある現実との接点が消えていき、海辺にポツンと座る僕は、一体自分はどこにいるのかがさっぱりわからなくなってくるのです。
 僕は本当に途方に暮れます。今のこの状態をどう回復すればいいのかがわからなくて途方に暮れます。風景を愛すれば愛するほど、僕は一体どうしたらいいのかがわからなくなるのです。
 ふと、手に持っていた本のページの上に、小さな羽虫の死骸が乗っていることに気付きました。風に運ばれてきたのでしょうか。そのくらい軽く、本の文字と見間違いそうなほど小さな羽虫の死骸です。
僕は目を近づけました。6本の足をキチンと折り曲げて、身体を丸めているその格好は、まるで眠っているようです。眠ることも死ぬことも、もしかしたらあまり違いは無いのかもしれません。
 掌の上でコロコロと転がしていると、おそらく僕の元へやってきた時と同じように、強い風が羽虫をさらっていきました。一瞬の出来事で、僕はその行方を確かめる暇もありませんでした。小さな眠る羽虫は、鵠沼の風景となっていきました。

 おかげさまでtheatre project BRIDGEも3年目の冬を迎えることができました。今僕らの持てる戦力を出し切るなら今しかない!という意味で「“総力戦”公演」と名付けました。いかがだったでしょうか。
 今日12月6日のゲネプロ(本番と全て同じに行うリハーサル)直前、舞台の上では、BRIDGE史上最多、総勢15人の役者と、そして役者に負けない気勢を持つスタッフ達が、気合を入れています。
僕はその輪に入りません。他に仕事があったという事情もあるのですが、もし他に仕事が無かったとしても輪には入らなかったでしょう。いえ、入れなかったでしょう。
なぜ入れないのかという理由を説明するのには、残りの紙面が少なすぎるのでやめます。しかし、舞台上で気合を入れる役者・スタッフと、舞台外でそれを見る僕。おそらくこの距離が、旗上げしてから2年が経ったという事実そのもののような気がします。
2年間で、関係が変わり、お互いの立ち位置が変わった。多分、そういうことなんだと思います。そしてそこには、少しだけの寂しさがあるのです。

 徐々に夕暮れが近づき、海辺の温度は急速にひんやりとしてきます。
 海岸線に灯りがついて、それがどこまでも伸びていきます。そのオレンジの灯りは本当に、どこまでも、永遠に、続いていきそうに見えます。
 そして僕は立ち上がり、歩き始めます。行き先はオレンジの灯りの行き着く先ではなく、稽古場です。今日もおそらく「もうやってらんねえや!」と叫びたくなるような問題が勃発する稽古場です。
 しかし、それでも僕は、いえ、僕らは舞台の上で立ち続けようと思います。記憶にしか留まらないメディアだからこそ、僕らは叫ぶのです。「僕らはここにいる」と。

 本日はご来場いただきありがとうございました。また逢いましょう。

| 2002,12,07,Sat 2:31 | theatre project BRIDGE | comments (x) | trackback (x) |

newest  top   

CATEGORIES

ARCHIVES