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私が中国に行ったのはもう2ヶ月近くも前のことなんですね。
時が経つのは早いものです。自分の中ではつい一週間くらい前のことのように感じます。
そして、今回は3回目。中国でいつも色んなことがあるので、
最後まで書けずにアップしてしまうことが多かったです。

なので、今回は中国での事を「振り返って」みようと思います。

みなさんは ”旅”あるいは ”ボランティア”と言われたら何を想像しますか?
豊かな自然?田舎?それともいい人? さらにそれが海外だったら、中国だったらどうですか?

私の行ったこのワークキャンプは、旅とボランティアの両方を満たしていると思います。しかしそこで感じたのは特別な事ではなく、自然(ナチュラル)です。何か特別なことをしているわけではなく、自分たちの出来る範囲で限りなくすべてのことをやっていき、朝が来れば起き、昼は仕事をし、夜は杯。自分のことは自分で考え、その上で他人の動向に注意しつつ、馬鹿なこともする。確かに言葉の壁はあるが、それがまた面白い。女の子なんかは逆にそれが耐えられなかったりする人もいるみたいだけど。
確かにハンセン病と言う病を抱えていた人たちと接するのだが、それぞれ個性を持ったおじいちゃんおばあちゃんばかりで、とても楽しい。優しい目をした人たちばかりだ。澄んだ目をしている。
その光景は、赤ちゃんを見たときを想像してもらうといいかもしれない。隠したり、自分に嘘をついたりせずに、ちゃんと自分を持っていて、純粋な感じがする。かっこいいおじいちゃんもいる。多分若い頃はすごくもてたんだろうなw
キャンプ中に、靴の鼻緒が壊れてしまった女の子がいた。その子はその靴がお気に入りだったが、仕方ないので捨ててしまおうという話になった。しかし、その靴はおじいちゃんによって直された。もちろん普段そんな靴を目にすることは無いだろう。しかし見事にぶっとい糸を通し、靴底のゴムの部分もナイフでうまく切り、ゆっくりと、しかし着実に直していった。なんだかそれを見ている時、その人たちがすごいと思うと同時に、自分の甘さが情けない感じがした。「この人たちは生活してる」ってすごく感じた。
とにかく、そこでは本当の生活を送っているように感じた。人間本来の、あるがままの生活。

”お金”というものが出来てからは、あるひとつの仕事をすることで、それを賃金に換えてきた。そしてそこからいろいろなものを買う。つまり、ひとつのことからすべてを得られる社会になっている。いわゆるスペシャリストの方向性が強くなってきていると考えられる。実際、今の社会でさかんにさけばれているのは、スペシャリストを雇うこと、あるいはスペシャリストになること。

…でも、実際にそれをやってみて楽しいのだろうか。それが住みやすい生活なのだろうか。私は彼らをかわいそうと思ってキャンプに行ったわけではない。ただ、自分の知らなかった世界に飛び込もうと思って行っただけだ。しかしそこには、無理をしないで頑張っていける生活があった。その生活を追い求めるわけではないが、今のスペシャリストを求める世の中に、少し疑問を感じている今日この頃です。

みなさんは、”旅”とか ”ボランティア”と言われたら、何を思い浮かべますか


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