近代日本の黎明期に何が起きたか
リアリズムで「カタルシスの後」を描いた大作

 久しぶりに本の紹介を。

 「好きな作家は誰?」と聞かれたら、僕は迷うことなく司馬遼太郎、と答える。彼の小説さえあれば一生過ごせるんじゃないか、と思ってしまうほどに僕は彼のことが好き。もうどう言っていいかわからないくらい超愛してる。

 司馬作品の特徴の一つは、小説なのに途中で何の前触れもなく、“筆者は〜”といった具合に司馬自身が登場するという、なんとも自由奔放な作風である。

 彼の書く小説は三人称で書かれているように装って、実は生身の司馬遼太郎自身が物語の語り手を担っている。信長も竜馬も土方歳三も、まるでついさっきまで当人と酒を酌み交わしてきたかのような親密さと気さくさをもって、司馬は歴史上の人物を語る。誤解を恐れず言えば、司馬遼太郎の作品は小説ではなく、紀行文なのだ。

 だから司馬作品を好きか嫌いかの分かれ目は、文体とかモチーフとかの問題ではなく、彼の人格そのものを受け入れられるかどうかの違いだと思う。

 今回紹介する『翔ぶが如く』は、西郷隆盛と大久保利通の2人を中心に、明治維新から西南戦争に至るまでの10年間を描いた作品だ。司馬遼太郎の代表作の一つとして数えられる本作は、彼の作品の中でもっとも長く、そしてまた、もっとも紀行文的、記録文的な小説である。その理由は、描いた時代に由るところが大きい。

 明治維新という革命によって日本は俄かに近代国家となった。だがその実態は、充分な国家歳入がなく、政府の機能も勢威もままならない、かなり不安定な船出だった。大久保利通は強烈なイニシアチブを発揮し、政府主導による国家経営に乗り出すが、在野には特権を奪われたかつての武士たちの不満が渦巻いていた。西郷隆盛はその不満を征韓論という形で吸収しようとするが、大久保との政争に敗れ、故郷鹿児島へ帰る。だが西郷の下野は、はけ口を失った全国の武士の不満を引き寄せることになり、明治10年、鹿児島士族を中心とした反政府勢力は西郷を首領に担ぎ上げ、西南戦争という凄惨な内戦に突入する。

 明治最初の10年は騒擾と混乱に満ちた時代だった。エネルギッシュではあるがカオスであり、そして暗さが漂う。そういった時代を題材に選んだ司馬の苦闘が、文庫本全10巻という長さと、物語というよりもドキュメンタリーに近い筆致として表れたのではないだろうか。

 時代の混迷を示すかのように、物語もあちこちへと数限りない寄り道をしながら進むこととなる。例えば、征韓論に関する記述や、台湾出兵とその後の清との交渉に関する記録的描写は膨大だ。また、第三の主人公ともいうべき宮崎八郎のエピソード、とりわけ中江兆民との交流を基に当時の民権運動を描くくだりは丸々1巻以上が費やされている。その後も萩の乱、秋月の乱、神風連の乱といった西南戦争の前哨戦にも紙面が割かれており、西郷が挙兵していよいよクライマックス、というところまでは、読むのにかなりの根気を要する。

 明治維新は近世を壊し近代をこじ開けた日本史上の革命であり、そして革命とは歴史を物語として読み直すうえでは強いカタルシスを持つ、いわばラストシーンを飾るに相応しい瞬間である。『竜馬がゆく』も『峠』も『花神』も、読後に爽快感が感じられるのは明治維新以降が物語に含まれていないからだ。

 だが僕らは、明治以降の日本がどういった歴史を辿ってきたかを知っている。雄藩連合による俄か普請で作られた新政府は、基盤の弱さを埋めるべく天皇という古代権威を持ち出したことで、大日本帝国憲法に「統帥権」の一語を加えてしまい、結果それが昭和になって陸軍の暴走を合法化させる口実となった。日清・日露の勝利は日本の近代化が諸外国と比肩するまでに至ったことを証明したが、同時に帝国主義を固陋化させ、大正、昭和と時代が進むにつれて、逆に近代的な合理精神を衰退させることになった。明治初期を描くことは、とりもなおさず現代日本がその出発点において何を為してきたかを再定位することである。

 司馬遼太郎の創作の原点は、敗戦時に感じた無力感にあるという。なぜ日本はこんな愚かな国に成り果ててしまったのか、司馬文学には彼が若き日に感じたこの疑問が通底している。彼にとって歴史とはロマンの対象ではなく、徹底したリアリズムで観察すべきものだった。独自の紀行文的文体は、そういった動機から生まれたものでもあったのだろう。

 司馬作品を歴史の流れに沿って置いてみると、もっとも現代に近い時代を描いたのがこの『翔ぶが如く』と、さらにその数年後が舞台となる『坂の上の雲』だ。近代日本がその後に歩んだ道を示唆するかのように長く重たい両作品は、現代に生きる僕らの喉元に突きつけられたナイフである。この2月で司馬遼太郎が亡くなってから13年になったが、彼の作品は僕たちや、さらにもっと後の世代にとって、貴重な財産であると思う。

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